松井智惠は1980年代にデビューし、その後一貫して国際的に活躍し続けているアーティストである。彼女が美大生だった1980年代といえば、ニューペインティング(新表現主義ともいう)の一大ブームが起きた時代で、それまでの禁欲的なミニマルアートや論理性を突き詰めたコンセプチャル・アートに替わって、鮮やかな色彩とダイナミックなタッチの絵画が世界中でもてはやされていた。
そんな中、松井はインスタレーションの作品で一躍注目を集めることになる。インスタレーションとは、日本語で表すと「空間構成」のこと。絵画や彫刻などが単体の物体を作品とするのに対し、インスタレーションは様々な素材の物を一時的に設営して表現するのである。1980年代に台頭してきた新しいジャンルで、松井はドイツの巨匠アーティスト、ヨーゼフ・ボイスの作品を通してその可能性を感じ取ったのだという。染織科出身の松井は、最初は染織作品に別素材のものを組み合わせて表現していたが、やがてレンガ、水、鏡などを用いたスケールの大きな作品を発表。個人の記憶や経験を、象徴性の強い素材に反映させた求心力の強い作風で高い評価を獲得した。ちょうど同世代に女性アーティストが大勢登場したこともあり、美術専門誌で「超少女たち」という特集が組まれたのもこの頃だ。新たな表現領域を操る若年の女性たちが大活躍するのだから、世間の大げさな反応も分からなくはない。しかし、松井自身は当時を振り返って、「男性並みのことをしないと認められないみたいな風潮があって、かなり無理をしていた部分はありました」と述べている。
『LABOR-12』(1996年) 1990年代に入り、松井の関心は寓話に記された人間の本質へと移行。『LABOR』と題したドローイングや小オブジェを発表するようになる。それは男性並みを求める当時の「美術業界」の引力から脱し、なおかつ質の高い活動を続けるための必然だったのかもしれない。
2000年代に入ると、『HEIDI(ハイジ)』と題した映像作品へとさらに移行。「ハイジといえば、多くの人には『アルプスの少女ハイジ』かもしれません。でも、原作ではハイジ自身は狂言回し的役割で、むしろ彼女の周囲の大人たちが抱える精神的悩みの方がメインなんです。それは今日にも通じる悩みなんですが、そんな大人たちの周囲で明るく元気な子の役割を背負わされた子供って、すごくきついと思うんです。ハイジが私と同年代まで生きていたらどうなっていたんだろう? ふと思ったのがきっかけです」。過度のプレッシャーの下で生きる人間の内面の叫び。現在松井が挑んでいるのは、極めて普遍的かつ今日的な主題なのである。
折りしも、松井が参加する展覧会が芦屋市立美術博物館で開催される。『HEIDI』シリーズを中心とした展示になる模様で、現在の彼女を知るには絶好の機会だ。このテキストで初めて知った人は、是非生で彼女の作品を体験していただきたい。 |
『HEIDI45』(2005年)
『HEIDI45』(2005年) |
2007年12月26日
(美術ライター 小吹隆文) |
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大阪府出身。1985年以来個展多数。現在は、信濃橋画廊、MEMギャラリー(ともに大阪)を中心に個展を開催。グループ展は、『アート・ナウ84』(1984年、兵庫県立近代美術館)、『ヴェニス・ビエンナーレ』(1990年、イタリア・ヴェニス)、『いま、話そう 日韓現代美術展』(2002年、国立国際美術館)、『横浜トリエンナーレ2005』(2005年、横浜市山下埠頭)など、国内外で多数。 |
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『ゆっくり生きる。 What Is the Real Nature of
Being?』
2008年1月12日(土)〜2月24日(日)
月休 ※ただし1/14(月)・2/11(月)開館、1/15(火)・2/12(火)休館。
10:00〜17:00(入館は16:30まで)
一般300円 大高200円 中学以下無料
芦屋市立美術博物館
芦屋市伊勢町12-25
TEL 0797-38-5432
URL http://www.ashiya-web.or.jp/museum/index.html
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筆者プロフィール
小吹隆文
情報誌編集者を経て、2005年よりフリーの美術ライターになる。
主な執筆先は、京都新聞、美術手帖、ぴあ関西版、エルマガジン、artscape(ウェブ)など。
個人サイト「勝手にRECOMMEND」
URL http://www.recommend.ecnet.jp/
ブログ「小吹隆文 アートのこぶ〆」
URL http://www.keyis.jp/ |