川床参加店舗のひとつ「泉州旬味・十六夜」が入居するビル「Y'sピア北浜」のオーナー山根秀宣氏は、不動産業の傍ら「大阪まちプロデュース」を主宰し、まちづくり活動も展開している。山根氏はこの「旧・花外楼ビル」を2年前に購入した。「建物に一目惚れでした。川に面するロケ−ションと、この地の歴史性に」。西隣の花外楼本店は大阪会議*が開かれた名高い料亭である。「北浜が近代日本を作った」を持論とする山根氏は、不動産業者としての視点ではなくて、大阪を愛する者としてこのビルに強く惹かれたのだった。
当然、頭の中には川床の構想もあった。店舗テナントもその点は了承済みである。しかし、いざ川床を出すとなると窓の形状に問題があった。掃き出し窓でなく、壁が腰まである。川床へのアクセスはどうするのか。階段を付けるのか別の出入口を設けるのか・・・・。山根氏の解決法は大胆だった。「壁を取り除いて全面サッシに替える」オーナーとしてのひとつの決意の表れだった。既存の窓と外壁を撤去し、全面を川を臨む開口部にする。その工事は川床メイキングのひとつのハイライトとなった。
2008年10月1日朝のオープンセレモニー。
川床と船上で「大阪締め」
かくして2008年10月、大阪川床「北浜テラス」は現実のものとなった。蓋を開けてみれば、事前の様々な心配をよそに3店とも連日予約が取れないほどの大盛況。メディアにも多く取り上げられた。訪れた知事も絶賛した。そして、惜しまれつつ約1ヶ月の営業を終えた。
今回の試行錯誤を経て、川床は2009年の本格実施へと移行する。参加店舗を増やし期間も長くする。地元が主体になって「川床協議会」の設立も既に動き出している。
期待もふくらむ。船から川床へ直接アクセスできるようになると面白い。飲食店以外の川床があっても良い。いずれは1年中川床が楽しめるように。いや川床は新しい大阪の風物詩。季節限定の名物にした方が良いのではないか。・・・展望は尽きない。川床の冒険は続く。
*大阪会議
明治8年(1875年)に明治政府の要人である大久保利通・木戸孝允・板垣退助らが北浜の料亭「加賀伊(かがい)」で協議し、三権分立・二院制議会確立・漸次立憲などに合意した。成果を祝して、木戸孝允は料亭を「花外楼」と改名、看板を揮ごうした。
当時の花外楼は現在より東にあった(現在のY'sピア北浜付近か?)と言われている。これにちなみ、Y's北浜ピアはビルのファサードに大阪会議関係偉人の肖像画レリーフを掲げている。
平成21年1月27日
文:大阪ブランドグループ コバヤシタクジ
筆者プロフィール
コバヤシタクジ
本職のランドスケープデザインの傍ら、「NPO水辺のまち再生プロジェクト」理事、非営利市民団体「アメニシティおおさかネットワーク」代表など、地域魅力の発掘や利活用を目指した市民目線のまちづかい活動を実践。技術士(建設部門:都市及び地方計画、建設環境)
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