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「高津の富」という古典落語があります。
自称鳥取の豪商、実は一文無しの大ボラ吹きが宿屋に泊まり、景気の良い話ばかりをしている。宿屋の亭主はそれを聞き、周旋している高津の富くじをこの客に薦める。実はこの男の全財産は一分、ちょうど富札一枚の値段だ。男はこの富くじを買い、何が当たっても半分は亭主にやると約束する。果たしてこれが千両の大当たりとなる。主人が聞いて飛んで帰り、あわてて下駄のまま客の寝間に上がる。そんな亭主をたしなめるこの客も実は、驚きで震えあがり、草履のまま寝ていた、という話です。
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この落語の舞台、大阪市中央区の高津(こうづ)宮では、毎年1月の成人の日に行われる「とんど祭り」の日に、この「高津の富くじ」が再現されています。当日には大阪の名店が出店する屋台村も登場し、また落語会や音楽ライブも催されています。フランス料理、フグ料理、スイーツなど、名店の一皿が500円程度で食べられるとあって、このイベントを楽しみにやって来る人たちは年々増えてきています。 |
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とんど祭りをプロデュースしているのは、上町にある名店居酒屋「ながほり」の店主・中村重男さん。
中村さんはもともと、お店を通じて知り合った桂文枝師匠の一門を応援しようと、黒門市場近くのお店を借りて2ヶ月に1回「くろもん寄席」を開催していました。それが高津宮の宮司の耳に入り、高津宮でも落語を発信していきたい、と相談を受けました。そしてその年の夏祭りには、中村さんの計らいのもと、文枝師匠が登場しています。
この縁をきっかけに、中村さんは高津宮の冬の祭りとして「とんど祭り」を提案。もともとあった、正月飾りを焼いて一年の無病息災を祈る「お炊き上げ」の日に合わせて落語会を催し、また境内には大阪の名店の屋台を集める「食と芸能のフュージョン」をテーマにしたイベントを立ち上げたい、というのが中村さんの思いでした。初年度には中村さんの知り合いのお店8軒が出店し、それぞれのお客さんを集めた手作りのイベントとして立ち上がりました。 |
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「同じ時間帯にいろいろあった方が面白い」中村さんは年々イベントの内容を充実させ、また新聞、雑誌に記事を掲載してもらうなど、告知にも力を入れていきました。いろんな人が手弁当で協力してくれたことで、イベントの規模も次第に大きくなっていきました。
富くじを始めたのは、2005年。あるお客さんに「高津の富を再現したら?」と言われたのがきっかけです。
江戸時代に行われていた富くじの賞金は、一等が千両、今の1億円以上に当たっていました。発表の日には「大阪中の人間が一人残らず寄ったかと思われる賑わい」を見せていたようです。
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今の法律では賞金を出すことができないため、現代版「高津の富」ではお米、お酒、旅行券、食事券、電化製品などを賞品としています。発表の時間になると、富くじを買った人たちが境内に参集し、司会の落語家の軽妙なトークのもと、抽選が行われていきます。
「高津の富くじ」の再現にあたり、中村さんは文枝師匠に落語「高津の富」をやってほしいと依頼。癌で入院していた師匠は当時、仕事を受けていませんでしたが「この一日は行かなあかん」と、病院を抜けて駆けつけました。師匠はそれから2ヶ月後に亡くなり、この「高津の富」が文枝師匠最後の口演となりました。
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中村さんは中学卒業後、いくつかのお店で修行を積み、1984年、27歳の時に島之内で「ながほり」を開業。一貫してこだわっているのは、「とにかく“うまいもん”を出すこと」。そのために農家や酒蔵に何度も足を運び、納得したものを仕入れるようにしています。
「15年ぐらい前に東京と札幌の友人にバカにされたことがあります。フレンチ、イタリアン、蕎麦、寿司、日本料理・・・どれ一つとっても大阪にはうまいものはない。たこ焼きとお好み焼きだけか、と。それから“何くそ!”と思って、反骨精神でやってきました。いろんな所に食べに行って、いろんな生産者の方と話をして、自分の店ではとにかくおいしいものを出そうと思いました。」
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中村さんが修業していた時代には、先輩から多くのことを教わるということはなく、自ら学んでいくしかなかったそうです。
「自分はその逆を行こうと、若い店主や料理人に、信頼できる生産者や仕入れ先、マスコミの人を紹介するようにしました。そのことで、彼らとの間にいい関係ができてきました。その関係性の上に立ち上がったのが『とんど祭り』だったんです。」
今年1月12日に開催された「とんど祭り」には、3〜4万人の人出があり、好天にも恵まれ大いに賑わいました。大阪の庶民文化の伝統に根差し、多くの人の高いモチベーションに支えられたこのお祭りは、早くも大阪の名物イベントとして定着しつつあります。 |
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2009年2月26日
(大阪ブランド情報局 山納 洋) |