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1970年に大阪・千里丘陵で開催された「日本万国博覧会」。ヤノベケンジについて語る際、決してこの万博を外すことはできない。
1965(昭和40)年生まれで、万博会場のすぐ近所で育ったヤノベだが、実は万博そのものの記憶はほとんど持っていない。むしろ万博終了後に敷地に忍び込んで遊んだり、パビリオンの解体工事を眺めていた記憶の方が遥かに強いのだ。その時体験した極めて稀有なシチュエーション(ヤノベはそれを“未来の廃墟”と呼ぶ)が、その後の彼のアーティスト人生に決定的な影響を与えることになる。
1990年の個展で「タンキング・マシーン」を発表して以降、ヤノベは次々と話題作を発表し、快進撃を始める。それらの多くは独特のユーモラスな形態をした兵器や乗り物、放射能防護服の類であり、終末世界を生き延びるための必需品という価値観が作品全体を支配していた。この時期、ヤノベのキーワードは「妄想」と「サバイバル」である。 |
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ATOM SUIT PROJECT:
NURSERY SCHOOL,
Chernobyl
1997
photo: Russell Liebman |
TANKING MACHINE
1990
photo: Shin Kurosawa |
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TORAYAN
2004
photo: S eiji Toyonaga |
1997年には自作の放射線感知服を着て原発事故後のチェルノブイリなどを訪問する『アトムスーツ・プロジェクト』を開始。カタストロフの現場へ赴くことで表現はさらに進化したが、苛烈な現実を前に自分の立ち位置を再考するきっかけにもなった。21世紀を迎えると共に、ヤノベは新テーマ「リバイバル」を掲げることになる。
2003年、当時万博会場跡地にあった国立国際美術館で『メガロマニア』展を開催。これは彼のルーツというべき場所でこれまでの活動を振り返った集大成的な展覧会である。つまり彼のキャリアはここで一つの区切りを迎えたとも言えるのだ。
現在、ヤノベの活動の中心にいるのは「トらやん」なるキャラクターである。『メガロマニア』展の関連イベントで彼の父が披露した腹話術人形が元になっているトらやんは、3歳児の体形なのにバーコードはげ&ちょびヒゲで、子供用のアトムスーツを着用しているのが大きな特徴。大人と子供の中間にいて、ヤノベのアイデアの源泉となり、時には新しい道を指し示してくれる特別な存在である。 |
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横須賀美術館開館記念展「生きる」(2007)会場風景
photo: Seiji Toyonaga |
GIANT TORAYAN
2005
photo: Seiji Toyonaga |
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2004年以降、ヤノベはこのトらやんを軸にして、金沢21世紀美術館、豊田市美術館(愛知県)、鹿児島県霧島アートの森、取手アートプロジェクト(茨城県)など全国各地で展覧会を開催もしくは出品。地元住民との協同作業を重視する独自の方法論を確立して、新たなアートの可能性を切り開きつつある。また、今年8月には絵本作品『トらやんの大冒険』を出版。ファンタジーと制作ドキュメントを融合させて、物語でありながらインスタレーション・ツールとしても機能する摩訶不思議な書物を作り上げた。 |
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絵本「トらやんの大冒険」より |
このように、今のヤノベは従来のアーティスト像そのものを作り変えようとしているように思われる。既存の枠組みを超えた活動で多くの人々に感動を与え、21世紀のアーティストの姿を提示するかの如きその活動に、私は大いなる希望を抱かずにいられない。 |
2007年11月8日
(美術ライター 小吹隆文) |