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結局のところ、大阪のどこが、どう「水都」なの?
真正面から問われると答えに困る。そういう人は意外に多いかもしれない。今、多くの人が様々な立場から水都の再生を訴えている。ある人は観光の視点から、あるいは経済、環境の視点から。だって市域の1割を水面が占める希有なまちなのだ。都市のアイデンティティーとして、シンボリックなイメージとして大阪は輝ける水都であるべきでしょう?
けれど、現状はどうだろう。日常的に川を航行する船はそう多くない。水辺に顔を向けたお店もまだまだ少ない。何より、水辺を散策し、水辺で憩うという習慣が市民に根付いていない。
かつてはそうではなかった。大阪は水から発展したまちだった。国際貿易港だった難波津の時代、八百八橋と謳われた江戸時代、観光舟運が活躍した大大阪の時代…いつの時代でも、たくさんの船が行き交い、身近に川に親しむ暮らしがあった。その風景が途絶えたのは戦後の高度成長期。陸上交通の発達によって多くの川と橋がなくなり、水辺は生活の視界から消えた。現代の多くの大阪人にとって、華やかな水都の風景は記憶の中にすら存在しない。
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完成間もない頃の水晶橋( 1930 年ごろ)―本来河川浄化のために建設された堂島川可動堰は、現在、 大阪で最も優美な橋として親しまれている。
※大阪城天守閣提供
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中の嶋蛸の松(浪花百景)長谷川貞信画―江戸時代、中之島には諸藩の蔵屋敷が並び、産物を売買・保管するための舟が舟が行き交った。
※大阪城天守閣提供
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川をポジティブに見直そうという気運は、 20 世紀が終わろうとする頃に高まりだした。行政、経済界などが水都の再生構想や委員会をつくり、舟運イベントや親水護岸の整備などの具体的な取り組みを始動させたのは
4 〜 5 年前のこと。なので、水都再生は、ようやく少しずつ目に見える形になり始めたところなのだろう。
暮らしと密着した川の楽しみ方を市民の側も模索している。小職が参加する NPO 法人 「水都 OSAKA
水辺のまち再生プロジェクト(以下、水辺 NPO )」もそのひとつだ。建築やデザインなどの職能を持つメンバーが、水辺マップを制作し、水辺でお弁当しようと呼びかけ、水辺の物件だけを扱う水辺不動産を
WEB 上で運営するなど、日常目線の水辺の楽しみを提案しつづけている。毎年夏には「水辺ナイト」と称して、クルーズやライブを楽しむ夕涼みイベントを企画している。
2007 年 8 月に開かれた水辺ナイトは参加者約 400 人。年々参加者が増えている。初めて船に乗った人、初めて水辺の魅力を実感したという人も多かった。
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中之島公園東端の剣先公園から大川を望む(大阪市北区)
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水辺ナイト― 堂島川にかかる 鉾流橋の袂「若松の浜」にて(大阪市北区) |
川風を感じ季節を楽しむために、人々が自然と水辺に集まってくる―それが「いつもこうであってほしい未来の水辺の風景なんです」と、水辺
NPO 理事の松本拓(建築家)は話す。水辺 NPO の活動が、人々の目と足を水辺に向けさせて、水辺に親しむきっかけになればうれしい。「水辺の良さは日常のものだから」。水辺の魅力を大阪に暮らす人自身が再発見し、他の人へ発信し始めている。新しい時代の水都は、市民が“自ら築く”(→“水から気付く”)ものだ。
失われたものへのノスタルジーだけではない。水都大阪の新しい価値が生まれつつある。
この連載では、大阪の過去と現状を俯瞰しつつ、誰も見たことのない未来景としての水都の魅力を追ってゆきたいと思います。 |
平成19年11月12日
(NPO 法人水都 OSAKA 水辺のまち再生プロジェクト理事 コバヤシタクジ) |
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1998 年より活動を開始し、 2003 年に NPO 設立。「水辺のまちづくりに関する情報を広く市民や観光客へ提供すること」「水辺の土地建物所有者に対して、水の都大阪を意識したまちづくり行動を働きかけること」「建築、不動産、デザインの分野で、水都大阪にふさわしいプロジェクトを提案すること」などを実践し、大阪の水辺空間の再生をめざして活動している。
http://www.suito-osaka.net/
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著者プロフィール
コバヤシタクジ
本職のランドスケープデザインの傍ら、「NPO水辺のまち再生プロジェクト」理事、非営利市民団体「アメニシティおおさかネットワーク」代表など、地域魅力の発掘や利活用を目指した市民目線のまちづかい活動を実践。技術士(建設部門:都市及び地方計画、建設環境)
weblog http://ameblo.jp/amenicity2005/ |
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