どっこい大阪、なかなか大阪
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どっこい大阪、なかなか大阪
  なにわ伝統野菜
 
  5〜6世紀頃の河内平野は淡水と海水が入り混じる湖で、その後、淀川や旧大和川の支 流が運ぶ土砂が堆積し、野菜の生産に適した砂質土壌条件が形成されていきました。
さらに、大阪は商業や海運が盛んであったことから、全国各地より美味しい食材が集まり、独特の食文化が発達しました。天保7年(1836年)の『新改正摂津国名所奮跡細見大絵図』などによると、大阪は伝統野菜が目白押しに列挙される町であったことが窺われます。
地域、季節、食べ方などが限定される伝統野菜ですが、来歴、特性とともに「素材の美味しさ」をご紹介します。
 
来歴と特徴
古来より仏教と関係の深い植物として知られ、「古事記」の雄略天皇の条に「日下江の 入江の蓮 花蓮 身の盛人 羨しきろかも」と盛りの蓮の花が詠われていることから、蓮が自生していたことが窺われる。そして、くさかえは河内平野の陸地化前の、汽水湖であった「草香江」と考えられている。我が国に自生していた蓮根は、鎌倉時代以降、中国からの食用種に置き換わっていった。また、五畿内産物図会には「蓮根」として守口大根とならび図示され、河内の特産であったことが窺われる。当時、この辺りは湿地帯であり、れんこんの栽培に適した土壌条件で、おそらく、自生の在来品種が観賞用と食用を兼ねて、栽培されていたものと推定される。
門真市大字北島で、地バスが付近の池に生えており、これを湿田で栽培するようになったのが、始まりと言われている。明治四十年頃には天満の市場に出荷していたが、自生種が貧弱な根であった為、収益があがらないと考えられた。その頃、石川県と岡山県からは品質・収量性に優れた品種が入荷していたことから、大正九年に至って、これらの産地から「加賀」と「備中」の二品種が導入され、またたく間に河内に広がり、昭和三十四年には栽培面積も三百haに達した。
れんこん(はす)


 ※
料理例
酢ばす、煎り煮、煮物、天ぷら、蓮根餅胡麻だれ焼
現在の取組み
都市化の影響で急速に栽培が減少し、平成十一年度の統計では門真市を中心にあわせて十一haあり、根茎が青粘土層で生育したものは品質が良く、「河内れんこん」として人気がある。s
 
題   字:川村桃紅(青潮書道会 無鑑査)
料   理:上野修三(NPO法人「浪速魚菜の会」料理顧問)
庄司メイ(河南町 法華寺 寺庭婦人)
※野菜写真:(地独)大阪府立環境農林水産総合研究所
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