どっこい大阪、なかなか大阪
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どっこい大阪、なかなか大阪
  なにわ伝統野菜
 
  5〜6世紀頃の河内平野は淡水と海水が入り混じる湖で、その後、淀川や旧大和川の支 流が運ぶ土砂が堆積し、野菜の生産に適した砂質土壌条件が形成されていきました。
さらに、大阪は商業や海運が盛んであったことから、全国各地より美味しい食材が集まり、独特の食文化が発達しました。天保7年(1836年)の『新改正摂津国名所奮跡細見大絵図』などによると、大阪は伝統野菜が目白押しに列挙される町であったことが窺われます。
地域、季節、食べ方などが限定される伝統野菜ですが、来歴、特性とともに「素材の美味しさ」をご紹介します。
 
来歴と特徴
山菜であるうどは、茨木市で天保年間より栽培が始まったと言われている。春先に若い芽を摘み天ぷらや酢味噌などにして利用するが、促成軟化栽培では、畑で育てたうどを株ごと12月から1月にかけ掘りあげる。で作ったうど小屋に根株を伏せこみ、その上に、干し草を何層にも積み重ね、打ち水をし、で覆い、その上に束にした藁をのせ、発酵熱を利用し新芽を生長させ大きく育てる。うどの品質は赤みがかったり、黄色になったものより白くて、太く軟らかいものが良品とされている。最近ではパイプハウスを利用した軟化栽培が行われている。
独活 うど


 ※
料理例
ぬた、きんぴら、煮もの、サラダ、つま物
現在の取組み
茨木市太田および千堤寺地区で、数戸の農家が栽培に取り組んでおり、「三島うど」として出荷され、あくが少なく独特の風味のあることから人気がある。


題   字:川村桃紅(青潮書道会 無鑑査)
料   理:上野修三(NPO法人「浪速魚菜の会」料理顧問)
庄司メイ(河南町 法華寺 寺庭婦人)
※野菜写真:(地独)大阪府立環境農林水産総合研究所
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