大阪が今、ストリートダンスシーンにおいて世界的に注目されつつあることを、みなさんはご存知でしょうか?
ブレイクダンスは1970年代、ニューヨークのサウスブロンクス地区のアフリカ系アメリカ人やラテンアメリカ人の若者たちが始めた、頭や背中でくるくる回るスタイルのダンスです。70年代のストリートギャング抗争が激しい時代に「争うならダンスで争え」と提案されたことで広がり、ウインドミル、ヘッドスピン、ハンドスピンといったアクロバティックな要素を取り入れたことで注目を集めるようになりました。世界的に知られるようになったきっかけは83年公開の映画「フラッシュダンス」。世界中の多くの若者がその影響を受けてブレイクダンスを始めています。
「フラッシュダンス」以後、ブレイクダンスを取り上げた映画が次々に作られ、テレビ番組やコマーシャルで紹介されるなど一大ブームを築きましたが、その後ブームは下火となり、80年代後半には冬の時代を迎えます。この間ブレイクダンスはヨーロッパに伝わり、パワームーブ(大技)の進化や新たなコンビネーションの発明が起こり、またアフリカの民族舞踊やブラジルの格闘技・カポエイラの動きなどが取り入れられて進化していきました。そして90年代には、ブレイクダンスの復興は世界的なムーブメントとなって波及していきました。現在ではブレイクダンサーは世界中に存在し、言葉の壁を超えるエンタテインメントとして普及しています。
韓国では2000年代に入り、今まで見たこともないムーブをするダンサーが次々と登場し、世界大会のタイトルを次々と獲得し、一躍世界でも確固たる地位を築いたことで、ブレイクダンスは一大産業になりつつあります。有名チームはアイドルのような存在でTV、CM出演、コンサートなどをこなし、またアディダス、プーマなどの有力スポーツメーカーとスポンサー契約を結ぶことでプロとして活動しています。そしてストリートダンス専用の劇場が作られ、観光ツアーの一環に取り入れられています。
「エンジェルダスト・ブレイカーズ」 80年代に大阪で活躍していたブレイクダンスチーム「エンジェルダスト・ブレイカーズ」。ナインティナインの岡村隆史が所属していたことでも知られる同チームのリーダー・マシーン原田氏は、日本でブレイクダンスが冬の時代を迎えていた92年、大阪でストリートダンスのイベント・プロモーションを行う会社として(株)アドヒップを設立、同時にダンスコンテスト「ダンスディライト」を立ち上げました。94年からは日本で唯一のストリートダンスの全国大会として展開し、今年には15周年を迎えます。
関西のチームのレベルは東京に比べてかなり高く、大会では関西勢が常に上位を占めています。これは東京では、ある程度うまくなればバックダンサーなどの仕事があり、早い段階でダンスで食べていけるようになるのに対し、大阪ではコンテストでタイトルを取るしか有名になる方法がない、そのハングリーさに裏打ちされた努力に理由があるようです。JR難波駅にあるOCATはブレイクダンスに限らず、日本のストリートダンスの中心地として広く知られています。そして日本のチームの中には、韓国・フランス・アメリカのレベルに匹敵する実力を備えたチームも成長してきています。 最近では、ストリートダンスは健全な若者たちが楽しむものとして急速に広がり、人口は爆発的に増え、低年齢化が進んでいます。授業科目としてダンスを取り入れる高校も出てきており、2011年からは義務教育の一環として中学でダンスを教えることが検討されています。ストリートダンスのイベントもクラブのようなアンダーグラウンドな場所ではなく、一般のホールを借りて開催されるようになってきました。そして今年4月から放映されるNHK朝の連続ドラマ「瞳」では、ストリートダンサーを目指す女の子がヒロインとなっています。ストリートダンスは徐々に社会化し、一般に浸透しつつあるのです。
来る8月30日(土)、大阪市中央体育館メインアリーナにおいて、ジャパンダンスディライトの決勝大会が開催されます。収容人数1万人、世界最大のチームダンスコンテストとして注目を集めることになります。交通・ホテル・飲食・物販等、大阪の街にかなり大きな経済効果がもたらされることでしょう。ストリートダンスというジャンルで世界レベルの才能を輩出し、世界レベルの大会が開催される街として、大阪は新たな輝きを見せることになりそうな予感がします。
ジャパン ダンス ディライト Vol.14 ファイナル 2007.9.1@パシフィコ横浜 国立大ホール
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