#4「大阪の“食”と“芸能”が出会う”とんど祭り”」
#3「濃く、苦く、深い…大阪名物のストロング・コーヒー」
#2「なにわ野菜のブランド化、その取り組みと意義」
#1「大阪の胃袋をたずねて−大阪市中央卸売市場探訪」
 
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大阪の胃袋をたずねて



独自の抽出法が生み出す濃厚な味わい
 食い道楽で知られる大阪だが、実は喫茶店数全国一を誇る“コーヒー道楽”の街でもある。一口にコーヒーと言っても各地に個性的な嗜好が存在するが、中でも、濃密なコクが深々と染み渡る骨太の味わいで人気を獲得してきたのが、創業70年を超える老舗『丸福珈琲店』だ。どっしりと重厚な飲み口ゆえに、ここでは砂糖とミルクを入れるのが常となっている。大きな角砂糖が2個添えられているが、その甘味を受け止めてなお、丸福のコーヒーは揺るぎない。

 

 その秘密は、60年以上前に創業者・伊吹貞雄氏が自ら開発した抽出器具にある。一見、簡素な金属製の筒は、下面が細かい穴の空いたフィルターになっており、中に深煎り・極粗挽きの豆を一杯に詰めていく。一人当たりの豆の分量は通常の倍ほどと贅沢に使って、一回に7〜8人分を抽出する。器具はそのままポットの口に挿し込んで、同じくフィルター状になった上蓋をした上から湯を注ぐ。単純な構造に思えるが、深煎りの豆をすっきりとした味に仕上げるためには、実に理にかなった仕組みである。
 店の厨房からは時折、鋭い金属音が聴こえてくるが、これは各々の器具の形とコーヒーの落ち方に差があるため、スプーンで側面を叩いて微調整しているからだ。凸凹になった器具は、まさに手作り器具ゆえの職人技の痕跡である。出し終わるとネルで濾しながら、2〜3の器具から出したコーヒーを1つに混合。それぞれの味の差を慣らすという、ひと手間も忘れない。この独特のスタイルが生み出すストロング・テイスト。コーヒーの味と店の記憶が、これほど強く結びつく珈琲店もないだろう。

     

昭和9年、今池に創業

 器具から抽出に至るまで、まさしく“丸福オリジナル”を作り出した創業者の伊吹貞雄氏は、1908年(明治41年)鳥取の米問屋の三男として生れた。高等小学校(現在の中学校)卒業ととともに船場に丁稚奉公へ出た後に、飲食業の道へ進んだ。21歳で東京の西洋料理店に見習いで入り、若干23歳にして東京・武蔵小山にカフェ『ギンレイ』を開店。棚には洋酒がズラッと並ぶ、レストラン調のカフェーだったという。
  その2年後の1934年(昭和9年)、諸々の事情で大阪へ戻り、『丸福商店』を開店。この場所こそ、正しく「大阪の丸福」の生地であり、今もほとんど姿を変えずに営業を続けている(現在は「伊吹」に改名)。戦前、日本最大級の遊廓だった飛田新地(大正7年開業)の正門近くで、通り一帯は当時の一、二を争う盛り場といわれた。その以前、1925年(大正14年)から1932年(昭和7年)までの大阪は、東京市(当時)を面積・人口ともに上回る日本一の都市として繁栄を極めた。丁稚修業時代に熱中した機械の発明が高じて、知り合いの板金屋と手回し焙煎機を試作し、また丸福の味を支える金属製のドリッパーもこの頃に開発されたものだ。

 戦時中も、丸福で珈琲を飲みたいという常連客は多く。「やっぱり飲みたい人がおるから、店開けなあかん!」と昼はお店に入り、店内に暗幕をはり、中から閂をかけて営業し続けた。幸い1945年(昭和20年)3月の大阪大空襲でも店は奇跡的に被害を免れ、疎開させていた仕入れの荷物を元にいち早く再開。終戦直後といえば、巷では大豆を使ったコーヒー(通称ト-ヒ-)などで代用していたなか、丸福には生豆が大量にあったため、お客がどっと押し寄せたそうだ。中には抜け目ない者もいて、丸福で使った後の豆カスをもらいうけ、ミルクホールで使って一商売していたという


大阪から全国に広がる丸福ブランド
 終戦を機に、店が少々小さすぎることに思い至り、焼け野原で売りに出ていた元料理旅館の土地を譲ってもらうことになった。まだ終戦から間もない1946年(昭和21年)、これこそが現在の『丸福珈琲店』の千日前本店である。当初はカウンターと壁際にベンチシートを設置し、どの席からも店主と対面になるレイアウトだったが、相次いで転居した隣接店の建物を譲り受け徐々に拡張。実に6軒分の建物がつながって、10年後に現在と同じ床面積まで広がった。
 “芝居の街”・道頓堀らしく、戦後、第一号のお客となった新国劇のスター・辰巳柳太郎氏をはじめ、ピアニストの中村八大、『買い物ブギ』で一世風靡した笠置シズ子らもステージがあるたびに顔を見せたとか。大劇での仕事を終えた山田五十鈴や高峰三枝子といった名女優、さらには俳優・早川雪舟も、この頃に丸福に足を運んだ一人。『マンダム』の元会長・西村氏も学生時代によく店を訪れたそうだ。
  近年は、百貨店や小売店での商品展開や、各地の百貨店に支店を出店するなど、全国に丸福の味を広めつつあり、このストロングな一杯が、大阪の味として好評のようだ。飲食店数でも日本一の街にあって、その名を知られる存在になったのも、この強烈な個性があってこそ。一度飲んだら忘れられない味の喚起力は、寡聞にして他に知らない。『珈琲店』と呼べる店でないとダメなんですよ」という店の心意気が生み出す濃密な味が、丸福の存在感そのものである。
 
■関連リンク
丸福珈琲店 URL:http://www.marufukucoffeeten.com/

2008年12月11日
 
著者プロフィール
田中慶一
神戸の編集プロダクション「コピーズ」にエディター・ライターとして所属。2001年からコーヒーにまつわる小冊子『甘苦一滴』の発行を続けるほか、関西を中心にコーヒー・喫茶店文化を網羅すべく各媒体で取材・執筆などを続ける。編集・制作を手がけた『KOBE BARISTA』(旭屋出版)が07年末より全国書店で発売中。

●神戸バリスタブログ
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