本来、食材は生き物だから、たとえ同じ産地でも、その時々の気候、土壌や潮の状態などによって、味も栄養状態も実は違っているはずなのだ。こうした不確定要素によるバラつきを平準化するため、生産現場では機械やデータを駆使した様々な工夫が行われている。その結果、どんな食材も年中、安定的に供給されるようになったかに見える。しかし、その一方で、栄養素が希薄になっているとも言われ、本当に豊かな食を享受できているのかどうか、簡単には結論しかねる問題だ。失われつつあるのは、生きた食材に即した、生きた食生活かもしれない。 しかし、グローバル化の一方で、「地産地消」が叫ばれるなど、食をめぐる動きも多様になっている。今回取材した本場は、「何でもある」「ないものがない」品揃えがウリだが、東部市場(大阪市東住吉区)では、なにわ伝統野菜などより地域色のある品目の取引も目立つという。今の時期なら、泉州水茄子や毛馬きゅうりなどが旬だろう。全国、そして世界から食材が集まる卸売市場だが、地域の食の流通も担っている。これら伝統野菜は、大阪のブランドとしても大いに注目されている。 食は命をつむぐ源泉であり、豊かな食は豊かな暮らしを支える。大阪のまちは、豊かな食の系譜をもっている。しかし、それはこれからもずっと引き継がれていくだろうか。スピードアップする生活の中で、食材を吟味し、それに適した方法で料理する手間ひまをかけられる現代人は少ない。しかも、出来合いの食品が簡単に手に入る。食材がどのように生産され、どのような経路を伝って私たちのもとにたどり着いたのか、そこにどれだけの労力がかかっているのか、そんな想像力も働きにくくなっている。私たちは未だかつてない飽食時代を生き、未だかつてないほどに食生活を粗末にしているのかもしれない。大阪に生きる者として、せめて食のまちに恥じぬ、豊かな食文化を引き継いでいきたい。市場を歩きながら、そんなことを考えた。