堀井良殷さん: |
大阪の伝統文化についてお話を進めてまいりたいと思います。
大阪弁という言葉も立派な文化だと思うのですが、ガラが悪いとか、あまりイメージがよろしくない。しかし難波さんは、大阪弁は実は美しいのだということをおっしゃっていますね。 |
難波利三さん: |
大阪弁は奥深いですね。奥深いというのは、やはり商売言葉として発達しましたから、相手の気持ちを慮って遠まわしに言うのですね。そのために、あいまいとかごまかしているとか分かりにくいと言われるのですが、僕はそうではなくて、やはり相手の気持ちを思えばこそ遠まわしに表現するのだと思います。
その代表的なものが「考えときまっさ」という言い方です。ノーなのですが、ノーと言ったら角が立つから、やはり「考えときまっさ」とワンクッション置くのです。こういうことが分かるには、大阪で3年あるいは5年ぐらい暮らさないと、なかなか分からないかなと思います。
他にも、「ぼちぼち」とか「まあまあ」とか「そこそこ」などというのがあります。「ぼちぼち」でも、私の思うには「ぼちぼち」というのは30パーセントくらい儲かっている時の「ぼちぼち」ですね。「まあまあ」というのはそのちょっと上で、50パーセントくらい儲かっていたら「まあまあ」だと思います。もっと儲かっていると、これはもう「そこそこ」になるのですが、その辺を上手に大阪の人は自分の中でランクを置いているのです。それを決してあからさまに言わないところが、大阪弁の奥深さであり、思いやりだなと思っているのです。
もう一つ、美しいというのは大阪弁の韻ですね。鼻にかかる鼻音が大変たくさん出てくるのです。な行、ま行、あるいは「ん」ですね。「かんにん」「あかん」「しんどい」なんていうのは、みんな「ん」ですね。これは谷崎潤一郎さんもどこかで書いておられるそうですが、フランス語に負けないくらいの韻の響きがいいということです。
特に女の人に「あかんわ」とか「かんにんね」なんて言われると、ぞくぞくとするくらい気色がよろしいのです。それに、大阪の人は勢いのある話し方をしますから、非常にパワフルでリズミカルな響きとアクションも入っているのです。
この大阪弁の美しさみたいなものをもっともっと大阪文化の結晶として、前面に押し出してもらいたいなと思います。 |
堀井良殷さん: |
米朝さんは大阪の、上方の言葉の奥深さはどうお感じになりますか。 |
桂米朝さん: |
今おっしゃったように、「ぼちぼち」でも「もひとつ」なんて言葉もありますが、こういうあいまいなものでも大阪の人だったら言い方でその違いが分かるのです。どの程度に「ぼちぼち」なのか、どの程度に「あかん」のか、もう正味あかんのか、ほんまはいけるのかというようなことは、関西人同士であれば、言い方で何となく分かってもらえるのです。 |
脇田修さん: |
私などは、学会で大阪弁をしゃべって怒られました。東京の男が「そんな言葉しゃべるのはお前くらいだ」と言うから、大変腹を立てて、「僕は大阪人やから大阪弁しかようしゃべらん」と言い返したことがあります。
あるセールスマンが大阪の町工場のおやじさんに物を売りに行き、「考えとくわ」と言われて、次の日に「考えてくれましたか」と聞きに行って、追い返されたという話があります。その辺がやはり分かるというには、大阪で3年か5年は暮らさないと、なかなか妙味というか、妙な感性が伝わってきません。おもしろい言葉ですね。 |